加圧トレーニングの心をつかむための施策
日本の病院は確かに貧弱であるが、三〇年前と比べれば一般に改善していることも事実である。
いずれの病院においても衛生基準や防火基準は守られており、また問題の多かった付き添い看護も、平成八年三月末までに解消するための対応策がとられている。
さらに、悪名高かった病院給食もいくぶん改善され、かつてのように冷たい夕食が午後の四時にだされるというようなことはなくなっている。
一万、人員配置は確かに少ないようであるが、その水準はベッドの稼働率との関係で検討0する必要がある。
つまり、平均在院口数が短く、入退院が激しければそれだけ重症な患者か悪くなるので、多くの人員を配置しておく必要があるが、日本の場合、大学病院においても平均在院目数は一カ月程度であり、アメリカの四倍程度である。
したがって、平均在院日数だけみればアメリカのほうが効率的に裁えるが、職員数を考慮すると逆の結論がでる可能性があり、また患者にとっては職員数は多いが、治療途中で早期に退院させられる病院がよいとは限らない。
とはいうものの、日本の病院をよくしたいと思うならば、もっとお金をかける必要があることだけは確かであり、この点については前の二つの問題分野とは異なる結論となる。
そこで、問題はどこまで良くするべきかであるが、その際、アメリカの基準は高すぎるといえよう。
ちなみに、ヨーロッパでは病室そのものはもっと広いが、個室の割合は日本と同じ程度であり、また日本の公的病院だけと比較すれば施設水準はそう変わらない。
そこで、むしろ課題となるのは、いかにして私的病院を公的病院の水準にまで引き上げるかである。
アメリカの病院環境が優れている大きな理由は、戦後、法に基づいて公的資金が病院に投入され、その後も医療保険によって資本コストを含めて費用が償還さかたことがあげられる。
ただし、このように医療の質が重視されたため医療費は高騰し、皆保険実現の大きな障壁となっている。
なお、これまで分析してきたのは、どちらかというと病院のアメニティ部分についてであり、一の台数を保有している。
日本の大学医局は診療よりも研究を重視しているにもかかわらず、その成果は必ずしも世界からは評価されていない。
こうした傾向は医学のみならず、他の科学においてもみられる。
たとえば、アメリカの総合科学誌によれば、日本人の論文が他の研究者に引用される割合はアメリカの半分程度である。
もっと身近な指標を使えば、日本人が獲得したノーベル賞は五つだけで、そのうち生理学医学部門では一つだけである。
この分野も前と同様、且劣りする理由としてお金が足りないことが上げられる。
文部省も厚生省も研究費をあまり出しておらず、しかも文部省の場合は業績の質にあまり関係なく、硬直的に配分する傾向が強い。
厚生省はより弾力的であるが、研究費の総額はアメリカのNIH(国立保健研究所)である(NIHはアメリカ連邦政府の研究歳出総額の半分を構成)。
しかも日本の場合は、戦時統制Fに設けられた寄付に対する厳しい免税制度がいまだに適用されていることもあって、会社や財団等の私的部門からの助成も相対的に少ない。
ただし、こうしたお金の面以外にも、大学医局における厳しい上下関係が別語的な研究を行うには適さない環境である点にも留意する必要がある。
第二章で述べたように、大学医局は教授を家父長とする閉鎖的な組織であり、あたかも茶道のように代々築かれた遺産を伝授することに重きをおいている。
そのため、門下生の中で最も忠実な弟子が教授職を引き継ぐ傾向が強く、有名大学では教授の九割近くが卒業生によって占められている。
このような環境では研究に対して厳正な評価を行うことは難しい。
なお、そもそも日本の大学は明治時代において創造的な研究を行ぅためではなく、西洋の知識を効率的に伝播するために創設されていることに留意する必要がある。
しかしながら、一方ではアメリカにおけるヨーロッパと比べても突出した膨大な研究投資が医療の質の向上にどれほど貢献しているかを見つめ直すことも大切である。
研究を行うことそれ自体にも確かに意義があるが、社会から病気が根絶できると考えるのは幻想である。
たとえばアメリカにおけるがんの死亡率は昭和二五年から平成一二年の間に実質的に低下しておらず、また遺伝子治療は脚光を浴びているがその効果は末だ十分に確立されていない。
確かに基礎研究は重要で日本はもっとお金をかけるべきであろうが、公平な医療の提供等の全体とのバランスを保つ必要があり、こうした観点からアメリカの現状は行き過ぎであるといえよう。
医師を始め医療従事者のプロフェッションとしての質は、これまで述べた四つの問題と比べて日本であまり取り上げられていないが、医療の質を考えるうえでの中心的な課題である。
患者の立場からすれば、医療において最も求められているのは、自分の病気が的確な治療によって治ることである。
したがって、質の高い医療とは、患者、かよく治る医療である。
ところが、患者が治るかどうかは、医師や病院の質によるところもあるが、それ以上に大きな要素は患者の病気や体質であるため、後者の程度を揃えないと医療の質を測ることはできない。
たとえば、がんの五年生存率だけで病院や医師の成績を比較することはできず、胃がんに限っても早期冒がんの生存率が八割という成績よりも、末期の胃がんが五割という成績のほうが優れている。
ところが、患者の特性を揃えて医療の質を測ることは非常に難しく、アメリカでは膨大な研究費をつぎ込んではいるものの、関係者、か納得できるような方法論を確立するには至っていない。
そこで、実際に医療の質を測るためによく用いられているのは、「分な資格を持った者が医療を提供しているか、あるいは施設設備が整備されているか、という「構造」面の評価と、同僚の専門家から見て妥当な方法で医療か提供されているか、という「プロセス」面の評価である。
「構造」面に関しては、施設についてはすでに触わたので、ここでは人材面についてもることにする。
リソースの課題はいかにして最適な医療を提供できるような医師や医療従事者を養成、するかである。
この日標を達成するためには、「最適な」方法とは何であるかを確立さらにそれを体系的に教え、かつ教育の成果を評価する体制が必要となる。
ところが、日本ではこうした条件を満足することは非常に困難である。
第二章で述べたように、医学教育の内容は各医学校によってそれぞれかなり異なり、そのうえ千業後も大部分は母校の大学病院で研修を受け、さらに開業しない限り生涯大学医局の関連病院の中で働くことが多い。
医師がこのように相互に孤立した大学医局に組左込まれているため、すべての医師が合意できるような「最適」のスタンダードを確立することは難しい課題となっている。
こうした背景で、専門医の制度の確立も遅れている。
専門医としての認定制度は昭和の麻酔科に始まり、昭和五五年には二石学会が集まって学会認定医制協議会が発足したが、明確な役割を確立するには至っていない。
平成五二九九一三年には、同協議会は日本医師会と日本医学会と合同で一二者懇談会を机織、その中で医師はどの診療科目を標揺してもよく、また認定医となっても診療報酬に格差をつけるようなことはしないことを合意した。
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